フランドル伯フィリップ
フランドル伯フィリップ
マリー・フォン・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン
マリー・フォン・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン

1837年の3月24日に、フィリップ(フィリップ・ウジェーヌ・フェルナン・マリー・クレマン・ボードワン・レオポルド・ジョルジュ)は、ベルギー国王レオポルド一世の次男として誕生。 最終的に、彼はフランドル伯、ザクセン公爵、ザクセン・コーブルク=ゴータ王子の称号を与えられることになるフィリップは、兄のレオポルドと同じく、母ルイーズ・マリーに似た、ブロンドの可愛らしい子供だった。 母からは「優しいリプシェ」と呼ばれていた。 実際に、フィリップは温厚で従順な性格だった。そして彼も、兄同様、父レオポルド一世からの厳しい要求には、苦しんでいたようである。

数年後には、兄と同じくベルギー軍の士官候補生になる。 フィリップは、ブルジョワ的な生活を好み、読書・芸術・馬に情熱を注いだ。 特に、彼の莫大な蔵書のある図書館は、有名だった。

 

 

1867年の4月25日に、プロイセンの、ホーエンツォレルン王家と関係がある、ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン公爵カール・アントンの娘マリー・ルイーゼ・アレクサンドリーナ・カロリーネ・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲンと結婚。兄レオポルドとは違い、フィリップはホーエンツォレルン=ジグマリンゲン家公女の、妻のマリーとは円満な家庭生活を送った。

また、マリーは絵画の才能にも恵まれており、芸術に関心が深い夫フィリップとは、この面でも相性が良かったようである。

フィリップは多くの領地や不動産を所有しており、コッカリルの株主でもあり、資産運用・経営手腕にも、恵まれていたようである。

また、妻のマリーも、馬が好きだったようで、彼女用に、何と10匹のポニーがいたという。 その上更に、彼ら夫妻の子供達の乗るためのロバも、いたという。

 

 

このため、フランドル伯の家には馬車も多く、バルーシュ型馬車、クラレンス型馬車、二台の2人乗り軽四輪幌馬車もあったという。夫妻の間には、五人の子供達が生まれた。ボードワン、双子のアンリエットとジョゼフィーヌ・マリー 。

更にジョゼフィーヌ・カロリーヌとアルベール(後のアルベール一世)。 この子供達の内、長男のボードワンと次女のジョゼフィーヌは、早世してしまった。

長女のアンリエットは、フィリップの母のベルギー王妃ルイーズ・マリー・ドルレアンの弟でフィリップの叔父の、ヌムール公ルイ・ドルレアンの息子のヴァンドーム公エマニュエル・ドルレアンと結婚している。

つまり、いとこ同士。 ジョゼフィーヌ・カロリーヌとアルベールは、ザクセン=コーブルク家と縁組をしている。

なお、兄のレオポルドは庶子の息子は二人いたものの、王妃のマリー・ヘンリエッテとの間に、早世した長男以外は、ついに息子に恵まれなかったため、幸運にも、弟のフィリップの息子達に、ベルギー王位が回ってきたのである。レオポルド二世が亡くなる時、推定王位相続人は初めは、長男のボードワンだったが、彼は王位を継ぐ前に、二十歳で早世してしまったため、ベルギー王位を継ぐのは、次男のアルベールとなった。

現在のベルギー王室は、フィリップの血統になる。 フィリップは、1905年11月6日に死去した。 この四年後の1909年に、フィリップの息子のアルベールが、三代目ベルギー国王アルベール一世として即位した。